ワークシェアリング
2008年5月24日
マスコミで取り上げられる事も多いが、確かに職場での働き手の不足を感じる。
自分自身の職場環境、仕事条件をみても、明らかに悪化している。
人を増やして欲しいと頼める先であるはずの直属上司も「名ばかり管理職」の類いで、限りなくプレーヤーに近いプレイングマネージャー。こっちが気を使わされる。
私が現在食いぶちとしている電気製品市場で言えば、買い手の立ち場からすれば昔より価格が安くなっている事は喜ばしい事である反面、売り手としては大変な状況。10年前と比べても同等のものが半額以下まで落ちている製品も多々ある。基本的に社内で売上額の下降は許されないわけなので、10年前の2倍以上の数を売らなくてはならないわけだ。しかも10年前の半分の営業マンの数で!
いくらITやその他インフラが発達したとは言え、追いつきません。
雑誌か何かで誰かが「精鋭でもないのに少数精鋭を標榜している」と指摘しているのを読んだが、妙に納得させれられた(笑)
今後も続々と定年退職者が職場を去り、働き手の人数も減っていく事が予想される。ウチの会社もここのところ毎年のように新卒社員を採用しているが、実質的には追いつかない。3年後、5年後を考えると、これ以上どれだけ働かされるのだろうかとそら恐ろしくなる。
一方ではワーキングプアや無職の若者が増加したり、外国人労働者頼みな業種が一部出てきているという現実もあり、この2つの情報を並べると、非常に理解、解決に悩むところがある。それぞれの企業が求める人材ニーズや労働条件と、求職者側の仕事や会社に求めるものとのギャップがこうしたアンバランスに結びつくのだと思う。何とかこのギャップを縮めていかなければ、内容のレベルは別としても「働いている人も働けていない人も双方とも不幸」という現在の状況は益々悪化していくように思える。
(就労前・就労後の)基本的な教育制度の充実も1つ、また企業の労働者に対する考え方を見直すことも大きな要素だと思う。
文化人類学を勉強していた学生の頃に、担当の教授から聞かされた話が今でも頭に残っている。概ねこんな内容だったかと記憶する。
「ヒトはいかに効率的に物事を済ませるか、もっと究極的には、いかに効率的に食べ物にありつくかを求めて、様々な技術や制度を発展させてきた。極端な話、食べるための部分で言えば、森で獣を、海で魚を追いかけていた頃よりも、現代人の方が労働時間は減り、その難易度も軽減されていてもおかしくないのだ」
10人分の食べる量を捻出するのに昔10人の労働が必要だったものを2人でも済むようにしてきたのが進歩の結果なら、ローテーションで2人ずつ働いて、残り8人は遊ぶか別の事を考えていればよい。
人は遊ばなければ次の仕事は創造されないのだし。
現代は多くの人が食べることだけを目的として働いているわけでもないので、実際にはそう単純な比較は出来ないが、私の中でも、基本的な考え方はこの話を拠り所としているところが多分にある。
それからすると、「過労死」や仕事を苦にしての自殺など、本末転倒の極み。
仕事の忙しさのあまり、毎日のように昼食や晩飯を満足な量、適正な時間に取れなかったり、遊ぶ時間を持つことも出来なかったり、それらがストレスを呼び病気になったりする話なども同じ。目的と手段が逆転している。
だいたい「遊び」が「仕事疲れのリフレッシュ」と位置づけられたりしている時点で、私にとってはひっかかる。話は逸れるが、仕事仲間で休日に遊びに行った帰り、解散時に交わす「お疲れ様でした〜」も私は好きじゃない。余談。
低次元だと言う人もいらっしゃるだろうが、カッコつけたところで「食べたくて、遊びたくて、楽がしたくて働く」というのが根幹のモチベーションだというのは殆ど皆同じじゃないのかと思っている。
私自身は出来るだけ多くの人がこの根幹のモチベーションを満足しながら生活していく世の中が理想だと思っているので、やっぱり皆ほどほどにして、仕事も出来るだけ多くの人でシェアできるようなしくみを作っていければと思う。
日本国内だけ言えば、これからどうせ人口は減るのだからトータルの仕事量は減って当然なところもあるが、高齢社会においては相対的な労働人口のウェイトも減るという問題もある。また、現代は一国内だけでなく国外との関係抜きには物事を考えられず、その競争環境を考慮すると、日本人が働かなくてはならないトータルの仕事量が今後大きく減るとは考えにくい。むしろ増える可能性が大きいのかもしれない。
となると、やはり今後は働ける人はみんな働けるよう、その備えと配分をしっかりと考えていかなくてはならないだろう。(K)
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