2001年 モルディブ

2001年2月19~24日
maldiveほとんど何も知識がないくせに名前の響きだけに憧れて「モルディブかモーリシャスにしよう」決めた新婚旅行。結局モルディブに決定したわけだ。
シンガポール経由で約12時間。 更にそこから船で1時間半行ったところにある「クラマティ・アイランド」が滞在場所。  途方も無く遠くへ来たなと感じた。
とにかく四方を美しい海に囲まれた離れ小島。 散歩して一周しても1時間くらいで周れるほどの小さな島。 観光客もイタリア、フランスからの中高年層が多いと見られ、島で日本人の姿を見ることもなかった。
滞在期間中はシュノーケリングやシーカヤックを楽しみ、絵葉書みたいにきれいな桟橋を目前に眺めながらの毎回の食事もよかった。  島で働くリゾート従業員のほとんどはインドやバングラデシュからの出稼ぎの人たちらしいが、とても紳士的で心地よい待遇だったのが印象的だ。
この先地球温暖化が更に進むと、早々に海に沈んでしまうのがここモルディブだと言われている。  全くもったいないことだ。
ここのサンセットを見ていると、地球滅亡の日が来るとしたらこの島で最後を迎えたいなあ、と思えたりもするん だけどなあ・・・。  (K)
      

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2000年 インド

2000年4月29~5月6日
india 会社の先輩UさんとGWを利用してのバックパック旅行。
事前の手配は何もせず、デリー到着後飛び込んだ旅行社でデリー→アグラ→ベナレス→デリーの旅程を組む。
アグラではお約束のタージマハル廟観光。その真っ白な美しさはやはり一見の価値あり。
夜行列車でベナレスへ入り、ガンジス川で沐浴!小船で対岸まで渡ったり、聖地を訪れた多くの信者たちの姿を川面から眺めたり。喜んで船に近づいてくる子供たちに触発されたのか、Uさん突然川へ飛び込むというパフォーマンスも。
とにかく見るもの全てが新鮮で素晴らしい旅だったのだが、すぐカネをせびるインド人には正直ウンザリさせられた。 人力車やタクシーなどは、「必ず事前交渉の2倍を後で要求してくるの法則」があり、幾度となく怒鳴り散らした。
まあ、何が起こるか分からない楽しさがまだまだ味わえるインド。 
またすぐに行きたい、とは思わなかったが、そのうちほとぼりが冷めたらまた行きたくなるのだろう、多分。 (K)
        

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1998年 タイ

1998年4月25日~5月3日

バンコクとチェンマイを訪れた1人旅。 とにかく雨季直前のタイは非常に暑く、常に首にタオルを巻いて歩き回っていた。

<バンコク>
バンコクはとにかくお寺が多く、装飾も金箔を施したものが多く、目に鮮やか。 熱心にお参りする人々の姿には日ごろからの信仰の厚さが感じられる。
名物トゥクトゥクを駆使しながら、王宮、ワット・プラケオ、ワット・ポー、ワット・サケット、と真面目に寺院巡り。 夕焼けに映えるワット・アルンは陽が沈むまでボ~ッと見ていた。
夜はムエタイを観戦。 外国人旅行者にはリングサイドが割り当てられており、音も汗も臭いも全部近い!小学生くらいの年齢の選手によるマッチは少々痛々しい。 また、地元民が観戦する金網で仕切られたスタンド席側はいかにもギャンブル場といった雰囲気で怪しさが漂う。
アユタヤへの日帰りツアーにも参加し、アユタヤ離宮、ワット・ヤイ・チャイ・モンコン、ワット・プラシ・サンペット見学。

<チェンマイ>
トレッキング目的で訪れたが、のっけからヒドイ目にあった。 パスポートを含め、帰りの航空チケット、トラベラーズチェックなど貴重品が一式入った袋をすられたのだ、観光客を装って道を尋ねてきた2人組に。 今思い返せば「なんであの時・・・」って感じなのだが、後のまつり。 領事館や航空会社をかけずり周り、事の収拾に3日費やすも何とか諸々をリカバリーした。 その間、市内寺院で日本語を勉強中の地元学生と偶然知り合い(最初はかなり疑ってかかったが)、夜食事を共にしながらの「にわか日本語教室」で親交を深めた。

thai 領事館より臨時の渡航許可証の発行を受け、ようやくひと安心。 ギリギリ残された2日間でやっとトレッキングに参加することができた。
トレッキング日本人、アメリカ人、イギリス人で構成する10人グループ。 車で2、3時間入った辺りから山中を歩く、歩く。 暑い中、いくつかの山を越えること約3時間半。 タフな欧米人にはやや後塵を拝しながらも、何とか夕方、目的地のカレン族の村に到着。 とりあえず風呂代わりに川で水浴びして汗を流す。 集落には電気も水道も無く、高床式の小屋が我々の寝床。 夜は薄暗いランプのもとで食事をとるが、翌朝それが犬の肉だったと聞かされビックリ! 思い出すに、それほどマズくはなかったような気が・・・
翌日再びひと山歩いた後、お待ちかねエレファント・ライドに。 デンマーク人の中年夫婦に背中のシートを譲り、「生座り」で像の首に。 像は川中を歩いたり、ちょっとした段差を上り下りするので、振り落とされないようにしっかりとつかまり・・・毛が硬いのだ、毛が! 水牛の群れに興奮して走り出した時は少々焦った。
約2時間乗った後、次は竹製のイカダで川下り。 3時間と長時間だったこともあり、途中からは飽きて川へ入り、イカダに引っ張られたり、引っ張ったり。
 浅瀬や狭い岩場をすり抜けながら行くものだからイカダの竹は徐々に外れていき、ゴールに到着する頃には殆ど原型をとどめていない状況だった。
再び車で2時間ドライブしてチェンマイの街へ戻ってくる。
前日の犬肉か川で飲み込んだ水が悪かったのか、その夜からヒドい下痢嘔吐。 バンコクで乗り継いで帰国するまで「旅の余韻」に浸るはめになったのだ。

それにしても、今回悪い人間に出くわしたとは言え、その後助けになってくれた様々な人たちの励ましと笑顔に大いに助けられ、差し引きOKの旅となり、また行きたい国のひとつになったわけです、タイは。 (K) 
 

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1995年 香港・マカオ

1995年11月22日~25日
hongkong 島根県で勤めていた会社の慰安旅行に参加。
松江から関西空港までバスで6時間、関空から香港までが4時間。 やはり住むなら国際空港のある場所がよい・・・。

とにかく香港は元気のある街であったというのが印象。 東京などに比べても賑やかさ、活気は上だろう。
ほとんど団体バスでの移動と限られた時間での自由行動だったので、個人旅行にある自由度や冒険度はあまり無かったが、その分効率よく街を観れたのだと思う。
香港島でのショッピング、女人街、タイガーバーム・ガーデン、映画「慕情」のロケ地 浅水湾、水上レストラン、ダブルデッカーでの夜間クルージング、そしてお約束、ビクトリアピークからの100万ドルの夜景眺望と、ひととおりのポイントはおさえられた。
唯一個人行動がとれた夕食後の時間には同僚とくり出して「プラネット・ハリウッド」と「ハードロック・カフェ」で騒ぎ、まずまず楽むこともできた。

ちなみにこの間訪れたマカオでは、スロットに挑戦。44HK$の「勝ち」でした・・・  (K)

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1995年 中華人民共和国

1995年4月27~5月8日
china 初の父親との二人旅。 私は先発隊で上海入りし、同じく同市を訪れていた会社の上司T氏夫妻と合流。 
T氏は以前上海で仕事をされていたこともあり、ゆ園商場や外灘界隈、テレビ塔を手際よく案内して頂く。 
30日に落ち合った父をほぼ同ルートで案内してまわり、上海雑技団の公演鑑賞を付け加えた。 
それにしても上海という街は面白い。 超高層ビルの建築ラッシュで近代化が進む一方、一歩裏通りを歩けばまだまだ洗濯物が建物間にたなびく昔ながらの風景が見られる。  
次に訪れたのは水墨画のような山々の風景で有名な桂林での離江下り。 100人ほど乗れる船による約3時間半の川下り。 とにかく幻想的だった。 快晴ではなくうす曇だったのが一層雰囲気をかもし出していた。
終盤はやや飽きてきた感もあったが、徐々に見え始めた川沿いの集落の人々に手を振って退屈しのぎをした。最後に訪れたのは首都北京。 天安門広場の広さに驚き、故宮博物館の歴史に感動したが、やはり目玉は何と言っても万里の長城。 見たと言ってもほんの一部分だけしか見てないわけだから、ほんとのスゴさはわからないわけだけど、でもまぁその壮大さにはただただ感心。 「地平線の先どこまでこれは続くんだろう?」という想像の余地がある分なおさらだ。
帰路に一泊だけ再度上海へ立ち寄り、これまたちょっと有名な「上海オールドジャズクラブ」でビールでの乾杯をしてこの旅の最後を締めくくった。
父にとっては初めての海外旅行。 英語圏ならまだしも、私も言葉のわからない中国の為、二人して筆談と身振り手振りのジェスチャーで何とか乗り切った今回の旅。忘れられないものたなった。 (K)

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1993年 チェコ

1993年2月22日~26日
cheko ロシアから移動して入った為もあってか、プラハの街の雰囲気はとても明るく、平和に感じられたのが第一印象だった。 人々の表情も明るいし、ショウウィンドウにも色々な物がちゃんと並んでおり、同じ東欧でも違うもんだなぁ、とひどく感心させられた。
旧市街地の石畳の細い路地、空に突き上げるたくさんの塔が非常に美しい。 特に夜暗くなってから歩くと、まるで中世にタイムトリップしたよう。 有名なカレル橋を渡りプラハ城にも訪れるが、城内寺院のステンドグラスが、これまた美しい。
その他、郊外のカールシュタイン城やモーツァルトが定宿としていたベルトラムカ荘、ドヴォルザークやスメタナが眠るヴィシュフラド墓地を訪れる。
夜はチェコ名物・マリオネットでのオペラ「ドン・ジョバンニ」と、まともな(?)劇場でのオペラ「フィガロの結婚」を2つ観劇するが、本格オペラが日本円で300円程度で観れたのには驚きだった。
賞味3日間の短期間ではあったが、歴史ある古いものと新しいものとをうまく共存させたこのプラハの街にとても魅了された滞在だった。 (K)

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1993年 ロシア

1993年2月10~2月22日
russia 高校の時の同級生Sと二人で出かけた卒業旅行。 「社会人になったら長期休暇は取りにくい。じゃ時間を要する旅を今のうちに」と思いたったのがシベリア鉄道旅行。 今回は一週間かかる完走ルート(ウラジオストック~モスクワ)は断念、イルクーツクから途中乗車からのスタート。 イルクーツクでは街とバイカル湖を観光。 市場で毛皮の帽子と列車で食べる食料品を調達。 パン、ソーセージ、クッキーで1400ルーブル約280円はやはり安い。
列車の旅はモスクワまで3泊4日。と言っても標準時間を3、4個持つ広大な国を地球の自転と逆方向に向かって走るので、実際はもう少し長かったはずだ。 列車は日本の寝台車とほぼ同じつくりで4人コンパートメント。ただし、これは海外旅行者と比較的裕福な人の乗る車両で、他に通路にも大勢人が座り込むような一般車両もある。
とにかく旅が長いものだから相席になる人がころころ変わる。最初はアリョーシャという8歳の男の子とそのおばさん。 言葉は全く通じないが、Sが持参してきた折り紙やカラテごっこで仲良くなる。 次は真夜中に乗車してきて無理やりやりコーヒーを付き合わされた医学生3人。 本人たちは寝ずに翌朝早朝下車したらしい。 その後もサマルカンドからのおじさん、グルジア人のじいさんなど入れ替わり立ち替わりやって来たが、一番印象に残っているのがアルベルト。 行商人らしく、とにかく日本の物価に興味があり、「これは日本ではいくらする?」の連発。 電気製品から衣料品、車、毛皮品などなど。 一瞬ヒヤッとしたのは、彼がコンパ^トメントの戸を閉めてキツネやテンの毛皮をかばんからだ出しててきて「買わないか?」と詰め寄ってきた時。 「黒テンの毛皮が日本でいくらかなんて知らないよ!」
彼には多少警戒心を抱きながらも、似顔絵描いてもらったり、朝一からウォッカご馳走になったらり、まあ仲良く旅を楽しんだ。
それにしても車窓からの風景は一面白い雪景色。 いいかげん飽きてきた。


russia2 モスクワ到着と同時に疲れと寒さから風邪をひき、初日はホテルで寝ていた。翌日時間を取り戻すべく赤の広場、クレムリン、レーニン廟,、聖ワシリー寺院と精力的にまわり、その日の晩には夜行列車で古都サンクトペテルスブルクへ。 モスクワが東京ならこちらは京都といった趣き。街の雰囲気も何となく落ち着いている。 入場料約40円のエルミタージュ美術館には2回訪れたが、それでも見きれないほど広い。 美術品の素晴らしさもさることながら、建物そのものが巨大な美術品みたいなもの。 大きなシャンデリアやどこまでも続く廊下、重厚な扉、美しい天井画等々、見惚れているうちに迷子になりそうだった。もうひとつ感動したのが、エルミタージュ近くにある聖イサク寺院の天井画。これもいつまで見ていても飽きないほどの荘厳さ。 お陰で首が痛くなった。 
その他にも映画、バレイ「白鳥の湖」を観て、再度モスクワに戻ってからは本場ボリショイサーカスにも行き、アミューズメント面も堪能できた。
旧ソ連からロシアに変わり、まだまだ混沌とした国。 グラスノスチ(情報公開)とか言いながらも、発行されたばかりの新紙幣を支払い時にさし出すと「何これ?」って顔してスカシを確認する人がいっぱい。 ほんとに困ったものだ。
でもやっぱり馴染みが薄く、入ってくる情報の少ない国こそ、その国に行って自分の目で見聞きし、一般人と交流してみることが大切だなあとつくづく感じた旅だった。
  (K)

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1992年 アメリカ

1992年2月10~28日
2度目の海外旅行。 今回はアメリカ周遊ひとり旅。
西海岸から東海岸、2度目のハワイも含めて6都市巡りの強行スケジュール。 
各地で主に訪れた所は以下のとおり。

「サンフランシスコ」
ケーブルカー、フィッシャーマンズワーフ、
ゴールデンゲートブリッジ(徒歩で渡る)
「ラスベガス」
グランドキャニオン(セスナ遊覧)、フーバーダム、カジノ($7.5勝ち)
「デンバー」
ロッキー山脈ドライブ、コロラドスプリングス
「ニューヨーク」
自由の女神、世界貿易センタービル、エンパイアステートビル、
セントラルパーク、メトロポリタン美術館、SOHO、ブロードウェイ
(「Thw Secret Garden」観劇)
「ロスアンゼルス」
ハリウッド、ユニバーサルスタジオ、リトル東京、UCLA、ディズニーランド
「ホノルル」
ビショップ・ミュージアム、パールハーバー(アリゾナ記念館)、映画「FOOK」

デンバーでは祖母のお姉さんとその息子さんたちに、ロスアンゼルスでは祖母の弟、I夫妻とそのご家族にお世話になった。
とにかく、あれもこれもとよくばり旅行。 特にサンフランシスコとニューヨークはひたすら一人歩きまわった。
テレビや映画などで見覚えのある風景や建物を目の当たりにしては、立ち止まり写真を撮った。 
それまでとても遠くに思えていたこの国が、旅の後、がぜん身近に感じられるようになった。  (K)

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1990年 ハワイ

1990年7月26~8月7日
hawaii人生初めての海外旅行。 
大学の友人 Nと2人でフリーツアーに参加した。
行きの飛行機ではかなり激しいエアポケット状態を体験、機内食がトレイごと通路に散乱したのを覚えているツアー自体はワイキキ滞在オンリーだったが、間の一周間は遠縁にあたるI夫妻を訪ねてハワイ島で滞在。
I氏はアメリカに移住した祖母のお姉さんの息子にあたる日系2世、父の従兄弟ってことになる。
滞在中、栽培しているコーヒー農園を見せてもらったり、ビーチへ連れてってもらったり。
そして何よりも、関東平野と同等の広さがあり「ビッグアイランド」とも呼ばれるこの島を一周まわる、一泊二日のドライブ小旅行に連れてってもらったのが想い出深かった。
数年前に噴火し、大きな被害を出したばかりのキラウエア火山をみた時には、まるで別の星に降り立ったような
錯覚を覚えた。 他にもマカダミアン・ナッツの工場や広大な牧場や砂糖きび畑を見たり、マウナケア山のふもとからは日本製の大展望台を見上げることができたり。
感謝の気持ちをうまく英語で表現しきれないもどかしい思いを残しつつハワイ島を後にした。
オアフ島ではポリネシア文化センター見学とダイヤモンドヘッド登山を行う。
     (K)

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